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花尊し

花尊し

介助者の哲学

一言居士
往復書簡、闘士の遺言


総論賛成but各論・・ Sat, 25 Oct 1997 sio

障碍者の親という一般的な立場からは障害者活動センター設立は大いに望ましいという総論賛成ですが、うちの娘、真理子の親という全くの個人的立場からは各論ではどうも・・ そんな各論は聞かなくても分かっている! と言われるでしょうから何も言いません・・ ある人のユートピア、パラダイスは別のある人にはそうではない矛盾・・ 現実にそんな施策が功を奏するか、です。





寝床上、血圧いよいよ高し Sat, 25 Oct 1997 buchi

貴方の言うとおり、私にしても絶対不可欠・唯一無二などとは、言っていない。 ただ、必要としている人がいる限り、要求はしていくんだ。 それが一里塚、橋頭堡となつて、更なる発展が在ると信ずるからね。 お嬢の現われを特化し過ぎちゃだめだよ。 極めて重篤な現われのある人たちが、地域で暮らすことを選び始めている。 それは介助者の哲学次第で実現するんだ。 いいかい、家族じゃない、介助者のだよ。 医学や心理学、福祉学ではない、まして経済学ではね。 如何に生き、如何に暮らすか、の哲学だ。 行政に哲学を持ては、無い物ねだりだからね。 せめて制度の運用に哲学を持てとね。そういうこと。 一人一人のニーズに見合った処遇。 生活の質の向上。 基本的人権の擁護。 そして、介助のマン・パワー。 それを支える社会の教育力。 けして、ユートピアじゃないんだよ。 実現しつつあるのだからね。 20年後を展望するんだ。 お嬢35歳。 健34歳。 どんな暮らしを想定するのさ。 より良き、この子達の暮らしのために!!! その時、我らは……。 彼OKが例え最重度の人でも施設は人の暮らすところではない、と言いきるから、説得力があるのさ。 施設に住みたいか? 終生そこで暮らしたいか? 私はそこでは、生活したくない。そこでの暮らしは、人間の暮らしとは言えない・・ 私も施設や刑務所では暮らしたくないぜ。 この国のハンディをもった人に対する概念規定、障害観を変えないとね。 害になる人やら、可哀相な哀れな人やら、といった見方を糾して行かないとね。 くたびれ果てた痩せ馬だが、踏ん張り所とガンバ。 2,3日寝転んで血圧安定。





ごろ寝している仕合わせか Wed, 12 Nov 1997 sio

「施設は人の暮らすところではない」ではなく、「私も施設で暮らしたい」と言ってもらえるような施設にして行くことが出来たら・・


【名  前】sio
【タイトル】ウィルス、他の人に感染させては大変です
【メッセージ】
レンタル元のサーバーメンテでしたか。でも、ウィルスは潜伏期間が有り 1998.2.13金曜日、突然大暴れ、なんてことも・・  JOIN THE CREW とか PENPAL GREETING! という不幸の手紙みたいなのは無視!でも良いのですが・・

【名  前】χ
【タイトル】攻撃じゃないか
【メッセージ】
ここの掲示板、過去何回か真っ黒になってたことありますよね。あれは、なんかの攻撃じゃないかなーとか疑ってるんですが、本当のところはどうなんでしょうか。

【名  前】BIN
【タイトル】まっくろ現象かいけつ!
【メッセージ】
皆さん、ご心配をおかけしました。この掲示板は、時間設定で背景等変えられるのです。その操作を私が間違って行っていたようです。また、真夜中に何かありましたら、教えて下さいね。早寝のBINより





想像力こそ英知の源 Wed, 19 Nov 1997 buchi

buchiです。 奇異なるモノ・見えぬもの、ウイルスに対する恐怖からくる過剰反応、、、想像力を恐怖へとするのではなく、英知へとしたいものだ。 「しょうがい」に対する偏見・差別の現われと同一の仕草だな。 かって、サルトルは「想像力を権力へ」と語ったがね。 私は「想像力こそ、より良き英知の源」としたい。 私は海外とメールのやりとりをしているから、外国のウイルス被害を聴くことがあり対策は取っている。

地域格差の是正をしたいのならキッチリ運動することさ。 自分で当たって砕けろ、ってことさ。彼の子どもは14歳。14年間も親として何してたんだってね。 私は、そう言いますね。 「N市では、こうだ、ああだ」「人がいない」「誰もてつだわない」 っていうがね。自分が何を求めて何を行動するかだからね。 私だって、札幌の人たちが運動を続けてきた獲得の地平に立って、より良き処遇を求めるということだからね。 我が子のことだけ言い募っているんじゃないんだ。 学校・病院・施設の近くへと、子どもに良かれと転居はザラにあること。 父さんが、通勤切ないだけで単身赴任は当たり前のこと。 地域で闘うことを選ばないのなら、移転・移住して新天地を求めることしか出来ないだろうさ。 彼は、何がしたいのか良く解からんね。育成会・親の会、自閉症協会支部の設立問題を巡っても「情報、情報」と言ってくるが処理能力を持たぬと情報氾濫に溺れるんだな。





後ろ向きの困ったHPです Sun, 04 Jan 1998 sio

年が改まったからとてさほど目出度くも無いのに新年を祝い、偲ぶ気持ちも、悼む気持ちも無いのに服喪中欠礼とか・・
ではありますが、人と同じ事をやっているのが無難と言う訳で、苦難の道行く行者ならぬ凡人の業とでも言いましょうか。 服喪は姻族は2親等までかなとか、悲しみまでも数値で評価してしまうのですね。 NHKの歌合戦が終わって1月1日の時報を聞いてから年賀メールを、と思ったら人と同じ事をやっているのがやっぱり多数派で、全然回線がつながらず何度かやっているうちに真っ白なのが行ったのでしょう。

新規HPの開設に向けて色々やっている最中です。絆について考えると難しい主題かなって感じですが、これはあまり展開させません。
実は、
1)自閉症の少女、真理子の世界(今現在のHP)
2)自閉症とノーマライゼーション
3)極北の波涛「オホーツク焼」
という三つがメインでこの三つを結ぶキーワードとして「絆」 とした訳です。 内容は「自閉症とノーマライゼーション」は、ノーマライゼーション何てのはせいぜい車椅子の人がちょっと楽出来る程度のことに過ぎないのではないか、ってなことをグダ愚だ言ってるだけで・・
全く後ろ向きの困ったHPですねえ。内容が無いので変な絵をベタベタ貼り付けて水増しHPです。 極北の波涛「オホーツク焼」はオホーツク焼作品の写真集です。極北の波涛etc など岩渕さんから戴いたメールの表現を使わせて下さい。





「絆」は血液の記憶、遺伝子の通底 に限定されるか Mon, 05 Jan 1998 buchi

buchiです。 絆、紐帯、そして柵、しがらみ。 血液のトラッド。共同幻想の通底器。 私たちなどは束縛を嫌い、家族帝国主義粉砕、などと叫んでいたこともあった。 いまや、しっかり家族している。でも、ないかぁ。 こんな話は変かも知れぬが「遠い親戚よりも、近くの他人」。 あなた達、ネツトで出遭った人々に対して新たな絆を感じていたりする。 不思議なものだ。 やはり、私にとってはネツトはバーチャルではない。 現実の通信手段、コミニュケーション (コミュニケーション) の媒体だ。 こんな新たな絆の理解もある。

行政用語のノーマライゼーションや福祉の街づくりを、現実の地域生活支援へ変えて行くのは、制度やサービスを利用する当事者の施策決定への参画の意志だ。 10の要求を毎年提起して、1つかなえば前進だ。 私にはないが根気が必要。 理想を高く掲げ、現実では当然「妥協」も必要。 しかし、卑屈にへりくだって『お代官様、お願いしますだぁ~』は言わないんだ。 ただただ強要しているのではない、行政の制度運用、考え方、頭の中、を刺激し続けるのさ。 それが、やがて結実する。これまでの制度は全てそうして出来てきたんだ。 人の営みとはそういうモノだ。 何年かかるかは、時代の仕事だ。





たんぽぽの仲間たち Sun, 07 Dec 1997 sio

「山元加津子先生とたんぽぽの仲間たち」お互いにリンクを張ることになりました。 新聞の折り込みチラシ同様の一方的メールに対して辛口の感想を送ったのですが、その感想文を勝手に公開してくれたので、ネチケット違反ですよ、と言ってやったらいろいろ教えて下さいと言うし、うちの真理子の便こねなどの厳しい現実の話しにも、ウンチ記念日のことなどの経験を語り、その話しをホームページに載せることにしてくれたり・・ と、まあ、そういう訳で相互リンクと相成りました。





たんぽぽだとか、野の花だとか 、 Tue, 9 Dec 1997 buchi

buchiです。  私にも「たんぽぽ」がメールくれましたよ。

 >新聞の折り込みチラシ同様の一方的メールに対して

まさに、その通りのメール。 あれはきっと、どこかの総目録的なページから、「しょうがい」関係のページへ次々と飛んで、片っ端から同文のメール打っているんだな。「HP見ました」というだけで、内容に触れていないからな。何故それが分かるかと言うと、カウンターだよ。私のページにアクセスしてから、メール打つまでの時間が短すぎるぜ。アクセスからメール発信までの時間差を見れば、それが分かるさ。短ければ、何も読んでいないに等しいからな。 私はあなた達と違って、なにせ「暇もてあました饒舌」だからな。結構メール打ち合っている。人の迷惑省みずって所、無きにしも有らず。だよね。ごめん。 「たんぽぽ」メルヘンおばはんには、「あなたの人柄は解った」「しかし、制度の不備を人柄に依拠した教育行政の有り様は、あやまり」とね。打っといた。それっきり、ビビッて何も言ってこないぜ。アハハのハ。 第一、私は「たんぽぽ」だとか、なんだとかと、「野の花」を名乗る日共系の愛護の思想がキライだ。あなたやZさんのHPの名乗り「屋号」は、「子どもへの愛」そのものズバリ。私のは舶来のモダニズム。中身は爆裂。札幌の当事者活動の活動家の若者に聞かれたぜ、 「ウインドズって、ウインドウズ95のこと?」ってね。我が家の屋号も一考の余地あり。





皆でゴールイン Mon, 08 Sep 1997 sio

最近の運動会では順位を争うことを避ける傾向とか・・
体力の差は歴然と有る訳だし速い子、遅い子それぞれの思いがあると思うのですが変な平等主義という感じがします。





悪平等は向上を阻む Mon, 08 Sep 1997 buchi

昔は、運動会だけのスターが、クラスに一人はいたっけなぁ。 私は小学低学年の頃、体育は常に見学だった。 運動会は勿論だ。苦痛だった。 何故こんなモノがあるんだ。と、日差しを避けて木陰に居ると ひどく厭世的になったのを記憶している。 栄養失調と心肺機能の疾患があったからだ。 3年の時だったか、はだしの友達に、俺は新品の運動靴を貸した。 そいつは、かけっこで一等賞になった。 俺に靴を借りたからだと、そいつは言った。 貧しい、実に貧しい暮らしの中で、がんばっていたそいつは 中学2年で、河にはまって死んだ。 ウナギのヤナが流されるのを深みに追って、溺れて死んだ。 長生きは出来ないといわれていた俺は、こうして……。 好き放題で生きてきている。 秋は、そんなことを思い出す季節だ。 優勝劣敗。これは自然の理だ。と、されている。 知力、体力、気力に胆力、も一つオマケに財力だ。 競い、競わされて、大急ぎで何処へ行くんだい。ってね。 現代は財力が伴わないと知力も付かぬ、 勿論、受験知識で、知恵ではないがね。 塾だプールだと、子どもは忙しい。 暇なのは俺だけだ。 しかし、競争社会を斜めに見ていては、子育ては出来ないな。 時には、おれもテクニックを直伝している。 ボンズも500円で買えるものと、1000円出さなきゃ買えないものが あることに、やつと気付いてくれた。 毎日、「紙のお金くれ」と、言っている。 コンビニで買い物して、お釣りを貰ってくる練習を3年した。 自販機に500円入れて、ジュース2個。妹の分も。 お釣りは、無し。 これの繰り返しから、3年だ。 一財産なくしたぜ。 1000円になる時は、妹が隠れて見ていて、釣り銭にダツシュさ。 対面販売では、子どもは駄目だったんだ。 何か言われると、スイッチ入っちゃつて。 最近では、買うものを自分しか読めない字でメモしてでかける。 レジにも慣れてくれた。 パートが、すぐ変化するのも良い。 最初にトラブレば、この子はこんな子だと、妙に納得してくれる。 とんでもないオバハンもいるがね。 交番に電話したりな。 おまわりのほうが、良く知っているから、 「黙って、売ってやんなさい。金足りなきゃ、あとででいいっしょ」 って、オバハン家まで付いてきてボヤいていたよ。 吉原の付け馬だ。 最近では、めったにないが。レシートに「不足です」って書いたりね。 学校では、並んで順番に買い物する練習だ。 そんな店が、何処にある。 馬券売り場じゃあるまいし。 空き箱並べて、ママゴトだ。 うちのは、CMウォッチャーだから、新製品の新発売じゃないと 購買意欲が沸きません。ましてや、空き箱なんぞ。 皆で渡れば恐くない、じゃあるまいし。 激烈な競争社会のすぐ横で、横並びの仲良しごっこだね。 だから、悪平等は駄目。 子どもたちの向上を阻み、差別を更に内包するだけ。 出来ないことは出来なくて良いの、出来ることを認めていくの。 それが必ず、自助努力に繋がるんだ。





貧しい暮しと言えば、 Tue, 09 Sep 1997 sio

子どもの頃、私は、母親がつぎを当ててくれたズボンが厭でたまりませんでした。でもつぎだって昔は珍しくはなかった。給食がまだ無かった頃、いつも手で隠しながら弁当食ってるのがいました。農繁期、学校に来れない奴もいました。うちは30年位前まで電気も無いランプ暮らしでした。暗くても気持ちは明るく、楽しい日々でした。物など無くたって幸せだったと思います。今の子達は物質的には恵まれているけれど、心は貧しいのかなあ、と思います。





著作権の問題に付いて思うところ Tue, 09 Sep 1997 buchi

岩渕です。

>健ちゃんの記録すごいですねえ!

笑わないでくれよ。タイムのレベルを出場者の編成時に合わせるの。 同レベルの子とレースするんだよ。 だから、順位は関係ないの。自分のタイムの更新のための記録会。 でも、順位の意味の理解が出来る子は、率直に喜びを表わしますね。 「じへい」の子の多くは、やはりボーッとしていてね……。 私は「歓びと祝福の記憶」を数多く持って欲しいの、 やったね。頑張ったね。えらいね。もう、赤ちゃんじゃないね。ってね。 たとえ、ささやかな物であってもね。 それが「自信」に繋がるものだからね。

こどもたちはMオープンスタジアムの幼児体操教室以来、青少年会館の水泳教室に週2回通っています。 健の入会には、コーチ陣の理解はあったのだがね。 スクールの他の母親どもは、こちらが殺意を持つほどの偏見。 大衆とは、そんな教育しか受けていないからね。 学歴を云々しているのではないよ。学校教育は、言うまでもなく。 社会教育の結果の愚民化政策の被害者だからね。 ノーマライゼーションなどと、急に言われてもね。 その理念が飲み込める受け皿は、それぞれには用意されていないんだね。 だから、お嬢さんの成長期の「状況確認・自己確認のエピソード」同様にね 実に色々ありました。 次々と、子どもはやってくれるから……。 でも10年、まさに「継続は力なり」て、ことだねぇ。

>それにしても、一本で110KBもある講演記録なんて、誰が読むの??
>失礼!! もちろん内容次第ですが、
>時は金なりのネットの世界、厳しいですねえ。要点抜粋で軽くした方が・・

実はね。「著作権」の問題に付いて、思うところがあってね。 東京自閉症協会のFさんが翻訳したアメリカ自閉症協会パンフを、ハードコピーして、配布して良いかどうか、 許可を求めたんだよね。仲間に配りたいとね。 そしたら、許可できない、とね。 新たに出版した同協会の「30年記念誌」に、資料として載っているから、 「一部、1000円出して買ってくれ、何部、送りますか?」とね。 一部は買ったがね。 確かに運動資金の確保は、組織の永遠の命題だがね。 私は、運動を語るなら、一旦、ネット上で表現したものは「著作権」を放棄すべきとね。 そう、思います。 著者の、翻訳者の著作物としての成果は勿論尊重しますがね。 ハードコピーの許可をして、より多くの人の目に留まることを目的とすべきだと思います。 絵画や音楽、それが飯の種の営業=利益追求者じや無い限りね。 啓蒙運動の情報宣伝、教育・宣伝とは、そういうものです。 だから、私の関わる「講演記録」、これは私がテープ起こしをして、編集した記録。 多くの人の目に留まって欲しいもの。 関係者の了解を外国からもとってね。 例え「何MBといえども、我ゆかん」の心境なり。 こまった性分で、まったく疲れるねえ。





権利はそれを主張する人が守るべき Tue, 09 Sep 1997 sio

ネット上で表現したものでも、著作権そのものは認めるべきで、ただ、利用者としては、著作権は認めるが勝手に侵害し、ばれた時に御免なさいで良いと、私は思いますがねえ。







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